高野山真言宗 花岡山 本覚院 略縁起
今を去ること千二十有余年の昔、花山天皇の御世。
寛和二年(九八六)真言宗東密子島流開祖真興上人止錫(しじゃ く)の砌(みぎり)、
上市町護摩堂村(ごまんどう)花岡の山上に ありて、紫雲たなびき瑞気満つるを見て仏法擁護の絶好の地と感得 され、直ちに草庵を結び 花岡山 本覚院 と称えられたり。
其の時、国家安穏、五穀成就、除災受楽、仏法興隆の本尊として千 手観世音菩薩を安置し、供養し給う。
爾来、幾多の変遷、星霜をへ経る。
然れども当山の旧地は山の頂にして道険しければ、容易に参詣し能 はざるを、文政十三年(一八三〇)大岩山日石寺十一世 如龍阿闍梨、花岡山中腹黒川地内へ移築建立し血脈を伝え近年に至るも平成 六年九月全山を焼失せり。
茲に深き佛縁ありて現在地小矢部市上野本水口谷に絶好の地を得て移転再興を発願せり。
今幸に値遇の因縁を結びしは宿善開発の然らしむるところ処なり、 心を浄め手を合せて謹んで拝礼をと遂げらるべきもの也。